植物(花)や岩石鉱物など大地に根差した自然のものは何でも好きです。また人為であっても古いものには興味があります。東京都と神奈川県の境界ぐらいの郊外都市に在住。周辺の市街地と多摩丘陵を中心として、近場に残された自然を探検しています。時々丹沢山地、相模川流域、三浦半島などにも足を延ばしています。

富士山と矢倉岳(やぐらだけ)

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 画像は曽我の梅林から望遠で見た富士山である。梅との中間にあるのは足柄(あしがら)山地でその右手の尖った山は矢倉岳だ。それぞれ何キロメートルも離れているが、うまい具合に一つの画像に収まった。

 遠くからも大変目立つこの二つの山について、いつも思うことがある。「これらは古代のランドマークだったのではないか」と。

 考古学の本を読むと、縄文時代やその前の旧石器時代にも人類は非常に広範囲で移動していたことが記されている。狩猟採集民は獲物を追って移動するのが普通であり、少なくとも季節ごとに住む場所を変えていたであろう。また長野県の山中で採れる黒曜石から作られたナイフなどの石器が関東一円で多数発見されており、広範囲の交易も想定されている。

 当時は踏み分け道程度はあったかもしれないが、鬱蒼たる森林に覆われていたに違いない。以前真鶴(まなづる)半島で400年間保存された森を見たことがあり、とんでもない巨木があって驚いた。当時の原生林の中では少々木に登っても周りは見えなかっただろう。

 では彼らはどのように移動し自分の位置を知ったのか。私は、木の少ない河川と海岸沿いのコースを採ったと考えている。その時は木間(このま)に見える富士山と矢倉岳の位置関係と大きさが参考になっただろう。もう少し東に行くと独立峰である丹沢の大山がその役割を担ったかもしれない。

 

 梅林の梅の香の中で富士山を見ながらこんな想像(妄想)をするのは、なんとも楽しいことだ。