植物(花)や岩石鉱物など大地に根差した自然のものは何でも好きです。また人為であっても古いものには興味があります。東京都と神奈川県の境界ぐらいの郊外都市に在住。周辺の市街地と多摩丘陵を中心として、近場に残された自然を探検しています。時々丹沢山地、相模川流域、三浦半島などにも足を延ばしています。

イド(Id)の怪物

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                    (しながわ水族館

 

 人間の意識下の攻撃性のようなものを、「イドの怪物」と言うらしい。妻との会話の中でそれを使うと、どうやら貞子みたいな「井戸の中の怪物」と誤解したようで、話がトンチンカンになってしまった。私も、しっかり意味を把握しているわけではないので、ちょっと調べてみることにした。

 

 フロイトは、人のこころを、「自我(Ego)」、「超自我(Superego)」及び「エス(Es、ドイツ語)、英語でイド(Id)」の三種類に分類した。

 自我とは、自分が自分だと思っているもので、人間が社会の中で生きていくために必要不可欠な、こころの主体である。一方、超自我とは、自我の内部にあって、自我を監視しているものである。簡単に言えば、「良心の声」である。

 そして、エス(英語の「イド」)とは、無意識の中にありあらゆる欲動を含むもので、ひたすら欲動を満足させようとする。自我のエネルギーはエス(イド)から供給されている。

 私は、何らかの要因で意識レベルが低下した時に、その人の行動や言動に出てくる、「恐ろしい本性」のようなものを指して、「イドの怪物」と言った。1957年アメリカのSF 映画の名作「禁断の惑星」に出てくる、姿の見えない凶暴なモンスターがこう呼ばれていた。(ネタバレになるといけないので詳細は自分で調べてください。)

 私が、これを実感したのは、20年以上前に、大変痛い尿管結石で入院した時である。病室は三人部屋で、一人は全身チューブと包帯の、手術直後の中年男性だった。もう一人は上品そうな老人で、何かの手術後らしく麻酔が効いていて眠っていた。私は鎮痛剤で何とか痛みが治まり眠りについていた。

 その夜半、大きな声で目を覚ました。見るとその老人が目を張り裂けんばかりに開いた恐ろしい顔で、術後で動けない男性に意味不明な罵声を浴びせており、そのうちにチューブを引きむしり始めた。ちょうどその時看護師たちが入ってきて取り押さえた。その後、おそらく鎮静剤を打たれたのであろう、おとなしく寝てしまったようだ。看護師さんたちはチューブの人の移動や後片付けで大わらわであった。私は大部屋に移ってくれと言われた。

 翌朝、その病室のドアが開いていた。気になって覗いてみると、件の老人が子供夫婦や孫たちに囲まれて話しているのが見えた。絵にかいたような上品な好々爺の顔であった。

 

 

 その老人は、麻酔が醒めた半覚醒状態で、自身の無意識の攻撃性(イドの怪物)が露わになったのではないか。そして、その攻撃性は弱い者に向けられた。私は当時ガタイが大きく若かったのでスルーされ、術後で動けない中年男性の方に向かった。暴れた老人は、実生活では社会的地位も高く、家庭的にも恵まれているのであろう。しかし、その上品な紳士面(づら)の意識下にあるのは、他人への攻撃性、要するに弱い者いじめである。これが原動力になって、実社会での成功につながっているのではないかとも思う。

 結果的に、私を含めて周りの人間は貧乏くじをひかされた。その老人は広い三人部屋を独占してノウノウと朝まで寝ていた。きっと何も覚えていなかっただろう。

 人の謎の行動の奥底にはこんなことがあるのではなかろうか。