画像の石は、神奈川県愛川(あいかわ)町の塩川滝(しおかわたき)で採集したものである。この付近は厚い礫岩層があることが知られている。以前紹介した相模湖層群の角礫岩や丹沢の凝灰角礫岩と異なり、丸くてよく磨かれた大きめの礫からなっている(画像中の最大の礫は長径2.5cm)。礫はほとんどが硬い砂岩のようである。おそらく以前紹介した小仏層群由来だ。
丸いということは川を流されてきたことを示している。しかし、普通河原の石は下流になって流れが緩やかになるほど小さくなり、河口付近ではほとんど砂泥である。ということは、急流で海に運ばれてきたと考えられる。しかし溜まるのは河口の近くだけだろう。
それではなぜ厚い礫層ができたのか?おそらく浅い海がどんどん埋められていったためと考えられる。ではこの浅い海とは何か?
調べてみると、これは石老山礫層と呼ばれ、「トラフ充填堆積物の最上部」だそうである。その成因を私が理解できた範囲で解説すると:
- かつてこの付近は関東山地の陸のプレートに、フィリピン海プレートが南西側から沈み込んでおり、トラフ(浅い海溝)が形成されていた。ちょうど今の相模川の線である。
- そこに海のプレートに乗った丹沢火山島が衝突して、一部が陸に押し付けられる(付加)とともに陸から大量の砂礫が降り積もり、トラフはどんどん浅くなっていった。
- そして最後に礫層が形成されて陸化し、さらに盛り上がった。この時形成された地層が、愛川町付近に帯状に分布する愛川層群(新生代第三紀、860万年~560万年前)である…、とのこと。
このプロセスを超早送り(100万年を1分ぐらいに)したら、さぞかしすごいスペクタクルになるんだろうなと、この礫岩を見ながら思った。